ヘルシーで飽きの来ない身近な食品、お豆腐。お料理だけでなくスイーツにもダイエットにも大活躍。その様々な製法をご紹介-その2

ヘルシーで飽きの来ない身近な食品、お豆腐。お料理だけでなくスイーツにもダイエットにも大活躍。その製法とは?

古典的な製法
江戸時代には、落語の題材になったり、また『豆腐百珍』 のような料理本まで出るほど、広く庶民の食べ物となっていた豆腐は、比較的加工の度合いも低く、経験さえつめば誰にでも容易に製造できたため、大正から戦 前にかけては、一つの町内に一軒ずつ製造業者が存在するほどでした。辺鄙な田舎であることを表すのに「酒屋へ三里 豆腐屋へ二里」という俚諺もあります。また、味噌などと同様に、各集落で共同で作られることもしばしばありました。

まず原料の大豆を、一夜(12時間ほど)真水に漬けておきます。翌朝、十分に漬けあがった大豆を適度に水を加えながら石臼でクリーム状に磨り潰し、このクリーム状に磨り潰された大豆のことを「呉」と呼びます。次に呉をお釜に移し、適度に水を加えて濃度を調整し薪にて炊き上げます。この時、呉はサポニンの作用で激しく泡立つため、消泡剤として食用油に石灰を加えたものを適度に振りかけます。十分に炊き上がった呉を、布で濾して豆乳を木桶に取ります。この豆乳が冷えないうちに凝固剤としてにがりを適度に加え、櫂と呼ばれる木の板で撹拌します(にがりを打った以降の一連の作業を寄せと 呼び、職人の技の見せ所です)。豆乳の濃度、温度、にがりの量、そして適度な「寄せ」がそろうと、豆乳は水と分離することなく固まり始め、やがておぼろ 状、またはプリン状の豆腐となります。これを崩しながら内側に布を敷いた型の中に盛り込み、蓋をして重石を掛け、硬く水を切ると豆腐(木綿豆腐)となります。

石臼
石臼で磨り潰されることにより、必要な蛋白分や糖分のみが液中に飛び出し、渋みの多い皮の部分はあまり細かくなることなく、おからとして排出され やすくなると言われています。工業化された製法では、グラインダーで豆を微細に削っています。石臼を使うと、呉の焼け(酸化)が少なくなるとも言われています。
お釜
いわゆる地釜(五右衛門釜)である。直火で炊き上げるため、呉が非常に焦げ付きやすく、濃く粘度の高い呉を使って、現在のような高濃度の豆乳を作 ることは、事実上不可能でした。大豆固形分濃度は推定7〜8%であったと考えられます。現在は蒸気釜で炊き上げるため焦げることはなく、豆腐の場合10〜 13%の豆乳が一般的です。
消泡剤
呉を炊くと、大豆中のサポニンが激しく泡立つため、お釜から呉が容易に吹きこぼれてしまいます。また泡立った呉から取った豆乳もホイップ状の泡に包まれてしまうので、まともににがりを 打ち、寄せの作業をすることが出来ません。このため古くから豆腐製造業者においては、前記の消泡剤を使うのが一般的でした(『豆腐集説』明治5年)。また 消泡剤には乳化剤としての側面も持っていて、呉液を乳化させることにより大豆中の旨み成分(大豆油のアミノ酸等)を豆乳の中に引き出す重要な役割も担って います。他方、最近では無消泡剤仕様豆腐も注目を集めています。
にがり、寄せ
さまざまな寄せの方法があるが、典型的な例として、桶の中の豆乳をにがりと反応させながら、櫂で中心に「寄せる」作業を行います。この時、豆乳は、蛋白の分子がにがりに反応して水の分子を包みながら網の目状に繋がり始め、大きく見るとプリン状になり、豆腐となります。お釜で炊かれた豆乳は、前述の通り濃度が薄いので、蛋白分子が繋がった網の目構造の網の目が粗いものとなります(濃度が濃いと、緻密な網となる)。このため水をその網に十分に捕らえることが出来ないので離水しやすく、木綿豆腐を作ると、水切れがよく非常に硬い豆腐が出来上がります。ゆえに、古来の豆腐というのは、このように非常に硬い木綿豆腐であったと考えられます。

またこの方法で作られた豆腐は、最近まで山間部や離島などに残っていました。1980年前後の岐阜県の旧徳山村や旧根尾村などで、この古典的な製法が確認されています。最近では、山間部で、逆に濃度の濃い豆乳を使って作った硬い豆腐を土産物的に売っていますが、これは近代的に作られた似て非なるものです。


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